GWがなぜ始まったかそして、おかしな友
「GWはイギリをを食べよう」を始めたきっかけ
お店始めて数年経った頃、
大型連休にほぼお客んが来ない。
GW本当に閑古鳥で、早仕舞いする日々。
なんとかしないとなぁ、何かしないとなぁ、、お客さんにきてもらうにはどうすれば、、
数年の苦しみをなんとかすべく思いついたのが
普段出していない料理を出してみたら?イギリス料理とか。
それが
「GWはイギリスを食べよう」だった。
あの時一緒に居てくれたスタッフのひろえちゃんと一緒に考えたなぁ。
頼りになる人がそばにいてくれた時代。
最初に作ったのは確かイングリッシュブレックファスト(イギリスの定番朝ごはんプレート)
それとなんだったかなぁ、cottage pie だったかなぁ。。。
それが14、5年くらい前の話。
最初の年はそれほどでもなかったけど、やらないよりよかった。
それから毎年やるようになり、メニューも広がり、口コミでお客さんも増え、
困ってたから、苦しかったから、生まれたこと。
今では毎年「今年もやりますよね」と楽しみにしてくれるお客さんたちもいて
10日ほど前にはメニューを決定し、準備して本番に臨むんですが
どんどん凝ってきてしまい、仕込みのボリュームが凄すぎて
朝から夜遅くまでずっと走りっぱなしな仕事の仕方をしてますが
お客さん来なかった辛さを懐かしく酸っぱい感じで思い出しながら
止まっちゃいけないんだなぁ。と思考も、行動も。
今年は全日程満席という快挙。
ありがとうございました!!
そして、途中私のおかしな友達が鹿児島から来たんですが。
高校からの同級生で、娘と一緒に。
お店を予約するDMが全くの偽名。
当日アフタヌーンティセットを準備し、どんな人たちが来るんだろうかとちょっと待っていたら、
入り口から動画を撮りながら入ってくる二人組。
「ちょっとー!!」「あんたたちー!」
この人たちこういうこと過去にもしてるんですよ。
その友達と久しぶりに待ち合わせしてたら
「J子、おまたせ~」ってニコニコしながら入ってきて、
「おお、いつまでも若いなぁ」と感心してたら、それ、まさかの娘だったんですよ。
私の知ってる友達の高校時代にそっくりに成長した。
もう父もなくなり、母を呼び寄せたので、鹿児島の実家はなくなってしまったけど、彼女たちに会いにいきたいなぁと
仕返ししに(笑)
娘は何度か一人で私に会いに来てくれたりする。うれしいよね。
友達と同じ顔に成長していくから懐かしいもの見てるみたいで、おもしろい、かわいい。
この友達には高校卒業してから何度も助けられてる。
本人は覚えてないだろうが、わたしにとって彼女はかけがえのない恩人でもある。
直近では私が一人で父の火葬に立会したとき。
あの時は母は入院中で、親戚もいなくて、たった一人で火葬のボタンを押した。
そのすぐ後、喪服を着た彼女が現れて「J子、ごめんね~、一人でボタン押させてしまった」って。
その途端まさかの大泣きしてしまった。
約束もしてないのに、ふっと現れるんですよね。
一緒に父の骨を拾って、そのあと、父の遺骨と一緒にご飯食べに行った。
辛く寂しい思い出になるところが、すごくいい1日になった。
良くも悪くも何も言わずに来やがる。
そんな最高のおかしな友達です。